2014年4月17日木曜日

今何故私にとって佐川一政なのか?

今の若い世代の中で佐川一政その人を記憶に留める人はそう多くはないだろう。

先日、ヤフオク!で02年に出版された彼の著作『霧の中の真実』が私の目を引いた。

何故なのかその理由は私にも分からない。

1959年日光市生まれのAKIRAさんという名のマルチアーティストがいる。

AKIRAさんのブログ(New 天の邪鬼日記)に私のおぼろげではあるが、先の答えがあるように感じたので、以下に引用する。

孤独の深度|2005年10月13日|テーマ●生き方

作家の佐川一政さんが日光にきた。


佐川さんはうちへ2,30回きているし、親友と呼べる貴重な友人だ。世界中に友人はたくさんいるが、「殺人者」は佐川さんのみである。
深くつき合うにつれ佐川さんの思いやりや純粋な愛情、そして孤独をひしひしと感じる。もちろん殺人を弁護するつもりはないが、法律的には普通人でも心は死ぬまで罪を負う。一度犯してしまった過去の罪は消えることはない。想い(原文ママ)十字架を背負いながらもなお、人は生きつづけなければならないのだ。
人は誰でも大小さまざまの罪を犯しているし、法に触れなくても自分で許せない過去もある。
前に「人は一生をかけて許すことを学ぶ」と書いたが、許すことだけが目的ではない。
許さない方がより大きな学びを得られるのならそれもいい。
犯罪を犯した方がより多く学べるのならそれもしかたのないことだろう。
オレは人を法律や常識と逆のものさしで計ってしまう。
「孤独の深度」だ。
それは「学びの大きさ」というものさしである。
こんな笑い話がある。

ある日ゴルゴ13とマスオさんが死んで閻魔大王の前にきました。
閻魔大王「判決を下す。ゴルゴは天国。マスオは地獄じゃ」
マスオ「えー、それって逆でしょう。何人殺したかわかんないゴルゴに比べて、僕は何も罪を犯してないし、家族のために一生懸命働いてきたんですよ」
閻魔大王「平等にあたえられた一生で、ゴルゴは生と死を学ぶために孤独の深度をせいいっぱい広げた。しかしマスオは安泰のために学びの機会を棒に振った。もっとまじめにやれー!」

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